日記風一言
2004-03

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2004-03-30T17:11 引越しシーズンのゴミ捨て場は宝の山

 この前の日曜日、私が宿舎の近くのゴミ捨て場の前を歩いていると、サークルの先輩に会いました。彼は目をきょろきょろさせながらうろついていて、私が声をかけてから私に気づくまで少し間がありました。ゴミを見ているようでした。
 「同業者が多くてね」と彼は笑いました。彼は月7,000円の家に住んでいます。
 私も実は普段もけっこう意識してゴミ捨て場を見ています。いま部屋にある家具のほとんどはもらったか拾ったかしたものです。どうせ1年くらいで引っ越すことはわかっていましたから、新品を買う気にはなれなかったのです。
 入居当初も感じたことですが、宿舎に必要な家具などというのはある程度決まっているのです。ベッド下に収納スペースを作るためベッドの足を上げるためのブロック、押入れもないので衣類をかけるのに必要となる突っ張り棒、悪臭のするつくばの水道水に必須の浄水器、かたい床に敷かざるをえないカーペット…。これらは、宿舎を出るといらなくなるのです。ゴミ捨て場にあふれかえるように捨てられます。そして4月に入居してくる新入生はまた同じようなものをこれから1年間だけのために店で購入するのです。…これって無駄が多いと思いませんか。
 筑波大学の環境サークルエコレンジャーは、卒業生から冷蔵庫やカラーボックスやテレビなどを受け取り、新入生に無償で配分するという活動をしています。私も冷蔵庫をいただき非常に助かりました。しかし人数不足や経済面から活動はやや苦しいようです。

 ところで捨てられているゴミを見ながら思うのですが、みなさんとても無造作に捨てますよね。ガラス窓のついた食器棚、ソファー、パソコン、スチールの本棚、自動車の鉛蓄電池、コンクリートのブロックなどがごっちゃになって捨てられているのです。そしてこれらは分け隔てなく収集車によって運ばれていきます。その先どうなるのかは知りません。おそらく愕然とするような処理方法がとられているのでしょう。
 ゴミを出す際に、木の部分、ガラスの部分、金属の部分といったように分別すると処分もリサイクルもスムーズではないかと思うのです。たとえばかさなども、かさの部分と骨組みの部分とを分けると、焼却できる部分が生まれ、埋め立て処理するゴミの体積が減ります。「ゴミをばらばらするとむしろ扱いにくい」という意見もあるかもしれませんが、燃やせたり再利用できたりするものまで何でもかんでも埋め立てにしていると、やがては埋立地不足という深刻な問題が出てきます。
 ゴミを出すときはちゃんと責任をもってください。そしてそれ以前にゴミを出さないようにしてください。私の家具の多くは廃棄処分が決定していたものを引き取ったものです。再利用によって、自分が新たなものを購入し廃棄する無駄のひとつをなくすことができるのです。


2004-03-29T14:53 三校戦

 この土日は部活の大会がありました。私たちはこの大会を三校戦と呼んでいます。仲のよい筑波・東大・自治医科大の三校が交流戦を行うというものです。
 今回は筑波大学が主幹だったので、先輩たちは他校の交通やホテルへの手配などで忙しそうでした。大会の主幹は大変なものです。おもてなしをする側なので、いろいろ気を遣う必要があります。いずれ私たちの学年もそんな立場になるのかなと思うと少し憂鬱です。


2004-03-26T16:31 不親切な宿舎側

 一の矢宿舎に引越します。しかし、入居手続きの書類提出について、宿舎側が不案内この上なく、私は多少怒っています。封筒に入れるべき書類をちゃんと明示しろ!追越から一の矢まで3キロもある道のりをわざわざ往復しているのに「振込みの領収書を入れて欲しいんですよ」とか「この紙が入っていません」などとして再提出するよう言ってくるんです。領収書を提出するなんてどこにも書いていないぞ!どの紙を今提出してどの紙を入居後に提出するのかちゃんと書いておけ!そのためにただ往復するも悔しいので、その都度荷物を少しずつ運んでいます。
 それにしてもこの不親切さはちょっと困りものです。どの人にもわからないことは、わからないみんなが悪いのではなくて、指示や説明の仕方が悪いのです。それを認識してほしいです。


2004-03-25T12:43 成績

 成績が出ました。55単位取得です。ほかの学類は45単位が上限にされて苦労しているようですが、医学類や看護・医療科学類などは上限がなく、無限に取得することができます。なので調子に乗って55単位取ってしまいました。しかも出席率はどれも90%以上、皆勤がほとんどです。我ながらよくがんばりました。
 ひとつ落とした科目があります。2学期の物理です。これは痛い。これで物理が嫌いになりました。でも3学期はAでした。成績というのはよくわからないところがあります。英語T:B→D→A、総合B。フランス語T-1:D→A→A、総合A。ま、2年も進級できるようがんばります。


2004-03-24T19:17 卒業式

 今日は筑波大学医療技術短期大学部の卒業式でした。私は部活やサークルの関係から、知り合いもたくさんいます。看護学科が多いことから振袖姿が多く見られました。
 部活での卒業生胴上げでは、乱暴に落としてしまって、びっくりして泣かせる場面もありました。反省しきりです。


2004-03-23T17:37 あとで耳にしましたが

 Oさんフェロモンというのがあるそうです。なぜかオスがOさんに近づいてくる。そう言われてみると…放っておけない感じがしたものです。たしかに私もそのフェロモンにかかりそうになっていたのかなとか(笑)。別にそういう気はないつもりでしたが、ここから発展してというのもありえるかもしれません。なかなかおもしろかったです。


2004-03-22T19:09 ちょっと複雑な偶然

 私は今年度心理学を取っていたのですが、そのなかでもっとも印象に残った講義は、筑波大学を前の年に卒業したOさんという方がいっらっしゃって、1限を使って自分のこれまでの経緯と心情を話してくれたことです。そのなかでのエピソードとそれに基づく気持ちが、本人から語られるせいか、とても心に深く響きました。彼女はかつてから自分が世界に必要のない存在だという感情を抱いており、それが高校や大学を通していろんな友達と過ごしていくなかで、他人を信じられなかったりしながらも救われてきた、というようなことを話してくれました。
 この講義は6月のことだったのですが、そのとき私がいろいろ感じたことがくすぶりつづけ、年末年始に時間ができたことで小説として整理してみようと思いました。しかし構想すらまだおおまかなところまでしかいっていない状況です。春休みに時間がとれると考えていたのですが、介助や引越しもありとてもそんな時間などある様子はありません。残念。
 でも、彼女のことを私がすべて理解することはできないだろうというこのは百も承知です。彼女がいろんなことに悩み、苦しみ、ときに自殺を試みながら生きてきたのに対し、私は彼女に感情移入するための多くのことを知らなすぎるのではないでしょうか。その点で、彼女が私とは依然遠いところにいるのに変わりはありません。

 先週の金曜の夜に、ある障害者さんの家で学習会を予定していたのですが、その場所に行ってみたところ家主が留守なので、PHSに連絡を入れてみました。すると「あ、いま(自立生活センターの)事務所。講演会やってるから来て」という返事。金曜の夜は事務所で交流会をしていることが多いので「酔っていませんか」と聞くと「酔ってます」。これでは学習会なんてできないと判断し、集まった私を含む2人(少ないです)は解散ということにしました。
 さてその後、私は個人的に事務所におじゃましてみました。まあ私も暇だし行って損はないでしょうという程度の動機です。事務所すなわち自立生活センターは、障害者に対する介助を派遣したり障害者の地域生活の助言や援助をしています。そのため私も介助者として一応お世話になっているわけです。行ってみると案の定、お好み焼きを前に青年たちがビールを交わしていました。私は事務所にはあまり顔を出さないのですが、ほかの場面で知り合いの人も多く、別に居心地が悪いということはありませんでした。私は見慣れない女の人の横に座りました。そしてずうずうしくもお好み焼きをほおばり始めました。
 学習会をキャンセルしたその障害者の方は、いつものようにみんなに毒舌を吐き散らしていました。「そこのハゲ」だの「足臭い」だの言いたい放題です。そのなかで気になったのが、その障害者が私の隣の人に対して笑いながら「死なないでね」と言うと、そのたび言われた本人は「もう死にたいなんて思いません」と返していることでした。以前に何かあったのかなと思い、私は彼女の様子をうかがっていました。彼女は事務所の機関紙の「介助者の声」原稿を書いていました。のぞいてみると、原稿には塗りつぶした部分がいくつもありました。「ここにいるみなさんは、そのままの私を受け入れてくれました。」事務所でそんなことあるのかなあと考えながら私はお好み焼きを食べていました。
 今回の飲みの目的は彼女の講演会だと障害者の方は教えてくれました。よく聞くと彼女の送別会のようでした。これまで住んでいた家も離れ、数日以内には日本海側の実家に帰るということでした。
 ところで彼女の名前はOと言いました。なんか偶然でした。センチメンタル的なところといい、はかなげなところといい…。しかしその不思議に思う気持ちはやがて疑念に変わっていきました。どうもおかしい。「あの、Oさんの下の名前って何ですか?」と私は彼女に聞いてみました。なんと同姓同名。「じゃあ、あの心理学の講義でお話ししませんでしたか?」「そうです」世間は狭いもので、まさかこんなところでという所でばったりというのがあるものです。いままで遠い存在であったものが、実は隣にあるということもあるのですね。講義って何のこと?とほかの人から聞かれて、彼女は「講義で私が自分について話したことがあったから」などと答えました。そのあと、彼女が少し目を潤ませた気がしました。なんだか取り乱しているようでした。私はこのことを話に持ち出したことが悪かったと思い焦りました。
 実は彼女に言いたいことがすごくありました。感動したこと、私が考えたこと、聞いてみたいこと…。しかしそれは言えませんでした。あのときはあのときの話があって、いまここで語れるものではないのだというのを私は知っていました。そして私は彼女に何も、何も話せませんでした。話すのがこわかったのです。普段私たちがする会話をするのが。私はOさんとは講義で知り合ったのであって、私はOさんのプライベートな部分をたくさん知りすぎており、そのあまりに不釣合いな設定で彼女との普通の関係を始めることができませんでした。彼女の私に対する不安を考えると、とても自然に接することはできないなと思ったのです。ただ、せっかくここで出会えたのに何も話せずに会えなくなってしまうこと、彼女がつくばを離れてしまうことが、すごく残念でした。
 彼女の横顔を見ていました。彼女が何度もため息をついているのが気になりました。すぐに両手で頭を抱えるのが気になりました。彼女は、これからどうやって生きていくのかなと、その姿を見ながら私は考えていました。


2004-03-19T12:32 教育

 3月11日から部活の合宿だったと以前書きましたが、その前日は午前4時まで飲んでました。合宿は午前6時半集合です。睡眠時間1時間半。こんなんで朝昼夕の練習に耐えていけるのかというくらいでした。
 そこまでしてなぜ飲んでいたかというと、例によって福祉系サークル・団体の先輩方が卒業したり忙しくなったりで活動にあまりかかわれなくなるので、最後に集まろうという飲みだったので、私も新入りとして参加させてもらいたいというわけです。200人を抱えるサークルの元代表さんや、筑波大学体育会・介助団体・ボランティア情報提供団体・地域活動団体に積極的にかかわっている忙しい方や、文化系サークル連合会元代表さんまで、いろんなメンバーが集まりました。そんな方々と一緒に部屋飲みしていました。
 いろんな方面の人たちといろんな話をしたわけですが、医学教育には知識だけではなく人間性も養うべきだという意見から、ではどうやって人間性を身に付けさせることができるのかという一般的な話になりました。ちょうど教育を専攻する卒業生がいたので、教育者はどんなことを大学などで学び現場に立つのかと聞いてみたところ、教授する理論くらいしか学ばないということでした。一般の人が医療者に人間性を求めるように、一般の人は教育者に人間性の教授を求めるものです。しかしどちらもそれ以前に、医療者は医療自体に精一杯であるし、教育者は学習指導に精一杯なのです。だから教育のある程度を家庭にも求めたがったりするのです。実際、子どもの養育のすべてを教育者が担おうとするのは無理があります。それを家庭でも地域でも社会でも適切な分野で分担しておこなっていく必要があると思います。しかし言うだけなのは容易ですが具体的にというと模索的な部分が多いのが現状だったりします。茨城県学生活動支援組織ぐっぴぃなどは、学生を含む地域との協力の提案としてスクールボランティアのフォーラムを行うなど積極的な活動を展開しています。私の団体もそのフォーラムにかかわったりしています。
 その後、飲みのメンバーの一人(医学の先輩)に誘われて小学校を訪問したのですが(予防医学の活動の一環で保健の授業の実施)、心理学的な観点、教育学的な観点、社会学的な観点その他すべてにおいて満足させる教育を実施しようというのは、あまりに難しいなと感じました。教育は非常にやりがいのある職業だと思いますよ。もっと向上心のある動機をもった教育者が増えてくれるとうれしいですね。

2004-03-19T12:49 介助にささげる学生たち

 介助というのは時間のある人がやるものでしょうか。3月10日の内容と重なりますが、余裕のある者が社会的に担うものとして介助を含むボランティアがあるのかもしれません。
 学生の春休みは余裕があり、特に私などは実家にも帰らないので、介助に多く入ってしましました。帰省しているほかの人の分もがんばらないと!と思い、今月は75時間入る見込みです。授業のある月は50〜60時間なのですが、春休みとはいえここまでくるとちょっと無理があるかなという感じもします。
 しかしよく調べてみると、月88時間という学生さんもいてびっくりします。月8回同じ人と一緒に寝ているのです。そんなに顔をつき合わせていると、本当に生活の一部となってしまいそうです。私の場合いろんな人の介助をしているのでよいですが。
 そういえば先輩が、ある障害者と2人暮らししてしまおうという企画を持ち出したことがあるそうです。介助者は別に入れて、それとは別に同居するのです。結局実現せずに終わりましたが、なかなかすごいことを考えるなあと思いました。「自立生活」をする上で健常者との2人暮らしはちょっと厄介ではないかと思いますが、やってみる価値はあるかもしれません。
 介助にささげる青春(とはいっても月720時間のうち数時間〜数十時間ですが)、みなさんも体験してみませんか?(と勧誘)。


2004-03-18T22:00 カラオケ

 昨日初めてカラオケに行きました。介助の関係で同行した感じです。今回はほかの介助者が何人か卒業してつくばを去るので、最後にみんなで会おうということだったようです。
 その一人に、音楽を学ぶためにニューヨークに留学するという人がいて、その人の歌声にはもうびっくりしました。で、初めてのカラオケは、そのことと自分の歌の下手さとでショックでした。


2004-03-17T11:11 振込み

 来年度の宿舎のお金を郵便局で振込みました。ATMでできるなんて知らなかった…。手数料取られてかなりなえてます。

2004-03-17T19:36 小学校の授業

 今日は龍ヶ崎の小学校に行ってきました。小学1、2年生です。彼らのためらいのなさに圧倒されました。老いを感じました。
 小学校になんて久しく行ったことがなかったので、小学生当時を思い出したり、感じ方や表現の仕方を思い出したりといろいろ興味深かったです。私の様子をうかがう子もいれば、無言で私の腕に抱きついてくる子もいました。その素直な行為の奥にあるものを感じながら(あるいは感じ取ろうとしながら)、子どもたちと遊んでいました。
 本来の目的は、先輩がする保健の授業を見学するということでした。素人の大学生でも準備をすれば普通の授業はある程度できます。ただ、伝えたいものを深いところまで伝えきれたかどうかを考えると不十分な気がする、と先輩は話していました。年に数回する授業なのだから、意味の大きい授業にしたいというのが目標でしょうか。
 印象に残ったのは下校です。終業式も近く、1年間に作ってきた作品を持ち帰ろうとしました。しかし校庭ではものすごい突風が吹き荒れていました。体が飛ばされそうなほどです。作品の入ったバッグが風にあおられてある生徒が手からすべり落としました。するとそこから絵画や絵日記や硬筆など数々の作品がバサバサバサと風に飛ばされ、あっというまに校庭中にばら撒かれてしまいました。追いかけるほかの生徒たち、その手をすり抜ける作品、追いかけるうちにその生徒のバッグからまた別の作品たちが風に飛ばされていき、空に舞い上がる…。もう追いかけながら笑いが止まりませんでした。風と共に作品と思い出は消えていく…


2004-03-16T17:45 富士山

 合宿先の山中湖は富士山の山梨県側にあります。富士山がきれいに見えた日はそんなになかったのですが、でもはじめてみる間近な富士山は荘厳でした。想像より斜面が急な印象を受けました。
 私がはじめて富士山を見たのは、たぶん前期試験でつくばにいく途中のバスででした。そのときは不意に富士山が遠くに見えてびっくりしたものです。そして明野町の近辺で教習中に見えたすごく遠くの富士山も印象的でした。助手席の教官が「富士山が見えるよ」と言ったので私はわき見運転をして夕焼けの向こうの富士山を眺めたものです。


2004-03-15T18:07 入学手続き(前期)

 今日は入学手続きの出口にいました。朝8時半から午後4時半まで食事もとらずに、医学類入学予定者を外で待っていました。「医学類はこちら」「医専」の看板を持って、4月6日の親睦会の案内をしていたのですが、はたから見るとなかなか怪しかったかもしれません。
 医学類としては前期合格者55人中男子30人女子10人をつかまえました。なかなかの成果だと思います。ただ男子のスルーが多いのが気になりました。スルーとは、こちらが「医学専門学群の方いらっしゃいませんか〜?」「こちらへどうぞ〜」と声を張り上げているそばを、該当者であるにもかかわらず、横目でちらりちらりと見ながら通り過ぎていくことです。はっきり言ってスルーはだいたいわかります。そしてそのたび私たちはいやな気持ちになります。ノリの悪いやつ…とか(笑)。
 損してますよ!後悔しますよ!
 初めてのつくば、初めての一人暮らしの方も多いでしょう。そして最初はわからないことも多いはずです。そんなときに助けになるのが先輩や新しい友人です。親睦会ではたくさんの先輩や友人と知り合えます。部活の新歓活動を通して将来を描いていけるのも、この案内がはじまりなのです。だから交友関係でも積極的に、長くて貴重な大学生活のスタートを切ってほしいです。

2004-03-15T17:50 春合宿

 日曜まで部活の合宿に行ってきました。山中湖です。練習も多かったのですが、最終夜の飲みは無理をしすぎました。多くの方々に迷惑をかけました。もうあまりそのことについて語りたくありません。あんなにつらい思いをするのはいやです。2日後の今日になってやっと二日酔いから回復してきました。もう酒など見るのもいやになりました。思い出すだけで腹の底から吐き気が…。


 ※管理人の都合により、2004-03-11から2004-03-14まで更新及び管理をお休みさせていただきました。


2004-03-10T17:27 地元話

 昨日の夜に介助先で学年が3つ上のNさんにお会いしました。Nさんは今年卒業して大学院に進むそうです。ローテを見るときはいつも彼女の名前があちこちにあり、すごいがんばっているな〜と感じていました。
 Nさんは最近卒業旅行で友人たちとタイに行ったそうですが、みんなが腹痛や発熱に苦しむなかNさんだけ健康で帰ってきたという伝説を残しました。「さすが北海道育ち」と利用者の方が笑って言いました。Nさんは「北海道って原野ばかりだと思っていませんか?札幌は都会なんですよ」と反論していました。「札幌出身なんですか?」と私はNさんにききました。「はい」「私も札幌出身ですよ」「え、そうなんですか?…何区?」「中央区です」「私は南区」なんだかローカルな話になってきました。「出身高校はどこ?」「札幌南です」「…私の後輩?!」たしかに私は筑波大学の後輩です。「私も南高!O先生が担任だったんだけど、わかる?」「古典の先生ですよね、よく知っていますよ」そうして利用者を前に地元話に花が咲いたのでした。

2004-03-10T17:36 あたりまえへの感謝

 部活の同級生と最近顔を合わせないと思ったら、どうやら家庭のほうで手伝わなくてはならない状況になってしまったらしく、週に3回帰省し朝5時過ぎに家を出てつくばに来ているそうです。まったく知りませんでした。表情にもまったく表さず、たまに会うときはなんの苦労もないような笑顔を見せていました。それを思うとよけい胸が締めつけられるようです。
 こう考えると、私が部活をできるのも介助できるのも感謝すべきことなんです。その気持ちを忘れないようにしないといけないな、と思った今日でした。


2004-03-09T17:50 新世紀エヴァンゲリオン

 昨夜たまたま新世紀エヴァンゲリオンを見る機会がありました。見たのはEpisode 15でした。多分エヴァンゲリオンをちゃんと(?)見るのは初めてだと思います。
 見て非常に驚きました。画面の配置や構成、登場人物の一つ一つのセリフや動作に込められた意味。
 放映当時(1995年ころ)の私には意味がまったくわかりませんでしたが、そして今も意味はわかりませんが、しかしアニメにしてはすごく細かいところまで力をそそいでいるなという印象を受けました。春休みにじっくり見てみたいです。
 全部見たら8時間だそうです。どうしよう。DVD誰かに借りようかな。でも再生機器はうちにはありませんでした。


2004-03-08T16:13 合格発表

 昨年の合格発表に行けなかったので、せめてどんなものかその空気を感じておこうと、テストの合間に行ってきました。
 人が意外と少なくて驚きました。
 医学類の受験生で自分の番号を見つけたときの喜びの表情を見れたのが大きな収穫でした。ちなみに彼の名はコダマというそうです。おめでとうございます。これからよろしく。後輩からも札幌医科大学に受かったと朗報メールが届き、うれしい一日でした。
 ちなみに合格者の受験番号はウェブ上でも発表されています。大学受験のホームページも今日引越しをしたのでこの際に訪れてみてください。何も変わっていませんが。ただ、平成18年度から医学類とかで後期試験がなくなるというのが特筆事項かな。
 ……って、ええーっ?!


2004-03-07T16:39 インタビュー

 今年9月(だったかな?)に実施される筑波大学学園祭のテーマは「まるで筑波色/ひかりをあてて、筑波色/今を染めてみる、筑波色」に(仮?)決定したそうです。そう実行委員会広報宣伝局から私にメールがきました。で、私はインタビューされるそうです。
 ……ええーっ?!
 よく理解できませんが、いったいどういうことなのでしょう。そういえば私が副会長をしている障害者の自立生活を実現する会は社会福祉協議会から長年の努力を表彰されドでかい賞状までいただきましたが、学園祭とはたぶん関係ないはずです。私、なにかすごいことしましたっけ?
 どうやら私がすごかったわけではないようです。私が応募した案がすごかったそうなのです。あ、なんだそうか。よかったよかった。図書券3,000円だそうです。よかったよかった。
 ……って、ええーっ?!


2004-03-05T20:34 「夜回り」へと動かすもの

 無事山を越えました。たぶん進級です。みなさんにはご心配をおかけしました(誰も心配なんてしていないって?)。
 今朝早く(私の感覚では夜遅く)午前4時ころからNHKラジオ深夜便で、ある高校教諭の対談が放送されていました。「夜回り」をしている水谷修先生という方です。私はテストのことも半分忘れて聞き入っていました。薬物も相まって体が弱いのに無理をしたため成人式の朝に急死した少年の話、お金を持ち逃げした2年後に土下座して返してきた少年の話、笑顔のための挨拶とそれによる地域の反響の話。
 関連するBBS「春不遠BBS」を見てみたところ、なんだか私には何もコメントできないような内容がつづられていました。がけの淵をおそるおそる歩いているような中学生や高校生がとても多いことを感じました。なんだか読んでいてもきりがないような気がして、私は途中で読むのをあきらめてしまいましたが、でも私自身がもっと元気なときにちゃんと読んでみたいと思います。
 その先生はこうおっしゃっていました。自分は心配だから夜回りをする。必要としている子がいるから行く。行かなくてはならないという責任感みたいなものです……。自分を動かすモノがあって動く。自然な、そして本来の形を見たような気がしました。なんか共感です。


2004-03-04T16:44 宿舎の音

 昨夜も部屋でテスト勉強をしていたところ、壁1枚を隔てた向こうから「うおーー!」とか「すげぇー!」とかいう声が聞こえてきました。一人で何騒いでいるのだろうと思っていたら、その後のラジオで「日本が4-0で快勝」と言っていました。サッカーのオリンピックアジア予選だったのですね。まあそれなら真夜中過ぎに叫ぶのも仕方ないかもしれません。
 宿舎の暖房は構造上集中操作式なのですが(暑くても寒くても調節できません。部屋によって暖房のききが違うようです。沖縄人でも半袖でいられる部屋もあれば、私のように今でも1日中コートを着ていなければならない部屋もあります)、暖房は午前6時から8時まで、午後4時から10時までついています。この暖房が消えるときがなんとももの悲しいです。それまであたりまえにあった暖房の音が「チューン…」と消えると、ああ、今日もあとは寒くなるだけか、と悟ります。午後3時を過ぎると本当に寒くなって勉強どころではなくなります。そしてベッドの中で暖かく勉強…と言っている間に、ふと目が覚めると暖房の音がする朝になっています。そしてそれでも寒いのでベッドからなかなか出られず、遅刻寸前及び遅刻します。
 宿舎はダメです。新入生は今からアパートを探しておくのをおすすめします。(といいつつ私はまた宿舎を希望し当選した…)


2004-03-03T12:43 テスト前

 目を閉じると暗記しやすい気がします。目を閉じます。別世界に行きます。
 テスト前になるとこの繰り返しです。静かだと眠気に負けるので音を出していると良いことに最近気づきました。そういえば私の弟が昼夜音楽を鳴らしていて集中できなかった思い出があります。でもいまは逆に静かすぎてダメです。
 ちなみにこのごろ真夜中にハーモニカが聞こえてきます。これは迷惑です。種類や程度というものがあります。
 先週まで介助活動をバリバリがんばっていたら、皆さんから心配されました。筑波大はいまテスト期間なんでしょう?医専で大変でしょう?留年にリーチなんでしょう?(ん、この情報はすでに他大学にまで広まっているのか??)
 私としても計画的にやってきたつもりなのですけれど、ちょっと無理があったみたいです。限界は知らないうちに超えているものです。私も自分のキャパシティの限界を超えてしまったのかもしれません。その結果としてあるのは…留年。
 いまは新歓でいかに新入生を入れるかということで頭がいっぱいです。そんな私は留年に最もふさわしい人物です。


2004-03-02T19:41 ファイル消去

 ファイルの場所を移動しようと思って、切り取ったまま貼り付けるのを忘れてしまいました。ということは…どこを検索してもファイルは見つかりません。この半月がんばって書いてきた名簿が…。
 バックアップ用としてプリントアウトはしておいたので、また打ち込めばそれでよいのですが、写しまちがいがあってはいけないのでかなり面倒です。困りました。かなり鬱です。はあ。

2004-03-02T21:00 交通事故

 今日自転車で買い物に行く途中、バイクが横転しているのに遭遇しました。ライダーはうずくまっています。私はギョッとしました。そしてちらっと「かかわりたくないな」という気持ちになりました。そのままこぐのをやめずに通り過ぎてしまおう。そんな考えが一瞬頭をよぎったのです。そのことが自分として少しショックでした。私はゆっくりと自転車を歩道の脇に寄せていきました。
 前に止まったトラックから運転手が降りてきました。そしてライダーに声をかけながら抱き起こしました。
 そのライダーの体は

 何ともないようでした。手も動いていましたし、怪我の様子もありません。大丈夫のようです。私は自転車を降りてスタンドを出しかけましたが、それを見届けて、私が関与する必要はないと判断し、また自転車に乗りました。助けを必要としていない車椅子には助けの手を差し出さないというのと同じことです。
 それにしても交通事故はこわいものです。自動車や特に二輪車は運転したくないなと思いました。交通事故の処理は面倒なものです。実際遭遇したらどうすればよいのでしょう。まあ運転者にならない限り心配する必要はないですが。でも交通事故の目撃者としてはどう対処するべきなのかと疑問に思いました。もしあの事故が大きな被害であったとき、私に何が出来たのでしょう。119?110?止血?蘇生法?それとも、様子をうかがいながら通り過ぎていくだけ?
 いざ!というときに適切な行動に出られるためには、日頃の…なにが大事なのでしょう。

 その買い物の帰りにまたその現場を通ったところ、まだもめていました。バイクを囲んで、ライダーとトラックの運転手とその他何人かが話しています。たいした事故ではないようには見えますが、でもこういうものはちゃんと手続きを取るべきなのでしょう。警察がいなかったのがちょっと不思議でした。


2004-03-01T12:05 愚痴らせてもらお

 お昼ごはんを食べる暇も惜しんで更新中。
 この一週間私の頭の中を占めていたのは主にローテです。土日はひたすらローテをやり、テスト勉強がまったく出来ませんでした。本当に進級できるのでしょうか。
 ローテとはローテーションの略で、介助を運営していくためには非常に重要な仕事です。電話かけをして毎日の介助者を埋めていく作業なのですが、介助者不足!ひたすら不足!でまったく埋まらないのです。
 しかも今回は春休みのあたまということもあって、実家帰り、旅行、合宿免許とみんなつくばにいない!そしてつくばに残っている人も、卒論の時期は終わったのですが、国家試験や就職活動などいろいろとお忙しいのが3月です。予定が決まっていない!引越しで忙しい!というお断りの返事はともかく、電話にすら出てくれないこともしばしば(というか半数以上は留守)。何度かけても出てくれない人も多いですし(数ヶ月ずっと出ていないということも)、常に話し中のこともあります(ていうか拒否ってるだろ!!)。
 1日中電話をかけても埋まらないともう嫌になります。入ってくれる可能性のある人全員に電話かけをしたあと、可能性のない人にもかけてみて、それもひととおり終わると、もう手段がなくなります。そのうち、なんで介助者の名簿のページがこれしかないんだ?とか、送迎なんていいからチャリで1時間かけて来いよ、とかとんでもないことを考えてしまうようになります。
 で、今朝ようやく終わりました。ほかの介助団体とのツテを頼りに介助者交換などしてうまくやりくりしてみようというくらいの追い詰められた状況でしたが、ちょっと無理がありますが無事埋めました。ああ、苦しかった。やけ食いもしました。八つ当たりしそうにもなりました。でも部活での気分転換、飲み(ソフトドリンクです)でなんとか持ちこたえられました。もう二度とやりたくないです。
 しかし、私の本当の戦いはこの先に残されているテスト&レポートです。進級が……


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